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【読書まとめ】乱読のセレンディピティ

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

私は割と本を読む方ですが、次々と本を読む度にところてん式に以前の記憶が忘れていってしまうような危機感を感じ、色んな本に手を出すのではなく何度も読み返した方が良いのではないかと考えるようになっていました。そこで、そもそも理想的な読書の方法とは何なのか、ということを知るべく乱読のセレンディピティを手に取りました。

この本では、むしろ其々の本を深く理解するのではなく、一定の距離を取りつつ様々な本と繋がることを良しとしています。気に入らない本を途中で放り出してもいいし、無理に覚えようとする必要もない。むしろそれが良い付き合い方であり、様々な効能があることが紹介されています。

以下特に印象に残ったパートを記す。

本を読んだら忘れるん任せる。大事なことをノートしておこう、というのは欲張りである。心に刻まれないことをいくら記録しておいても何の足しにもならない。

私は以前、何でも新たな情報を頭に叩き込まないと勿体ない、という思いから何でも復習ツールに放り込んで、何度も復習を繰り返していた時期がありました。その時感じたのは、覚えられるものはすぐ覚えられるし、覚えられないものは10回復習しようが覚えられないということでした。その時は自分の記憶力の低さに心底失望していましたが、この文章の通りに開き直って「覚えられないものは覚えられない」と忘れることに前向きになることで、本当に関心のある情報に当たる機会が増えたと感じています。

記憶が新陳代謝をするということである。記憶は忘却の力を借りて代謝をおこし、再生されるらしい。

忘れることを前向きに捉えていいのか、ということに対する一つの答えがこの文章でした。本から得られる知識の一部、特に関心持っている部分が自身の内面に定着し、その他は忘却・新陳代謝されます。乱読を経て本来繋がることがなかった事柄が、自身の記憶の中で繋がり、間が補完され、新たなアイデア・記憶へと変貌します。この本のタイトルであるセレンディピティ、偶発的に新たな発想と巡り会いもこの過程で発生します。
また著者は”自分でものを考える力をつけるには、近くに強力な人や本があるとかえってよろしくない。”とも言っています。少ないソースに極端に依存すると、その著者の思いを強く継承してしまうことで、上記のような偶発が生まれにくくなることが考えられます。

むやみと時間をかけると、言葉をつないで意味を成立させている残曳が消えて、わかるものがわからなくなってしまうのである。

遅読をすると全体の流れが見えなくなり、書籍が何を伝えたいのかがわかりにくくなることはあります。特に技術書などを読んでいるときは、其々の数式の展開を追っているうちに、「そもそも何で数式を展開してるんだっけか」と目的を見失うことはよくあります。 遅読もいいですが、全体の流れを理解するためには多読・速読のメリットを活用すべきであると思います。



この本は結構読み返しています。特にその都度学びが得られるわけではないですが、自身と相性の良いメッセージが記憶に残り人格や記憶を作っていく、という考え方がすごく気に入っています。無理に本のメッセージを全部読み取ろうと頑張っても、結局のところ定着しないですし、そんな時間があったら次々書籍を読んで、好きなメッセージを見つけて、吸収していくことの方が気持ちとしても楽ですし、より成長を実感できています。

終わり(1時間くらい)